○平成15年度 行政書士過去問題集・教養○
■9問目 回答結果■
不正解!
正 解:5
時 間:7009秒
正解数:0問

第10問目
問題45 次の文章の主旨と合わないものは、ア〜オのうちいくつあるか。

 言葉と実態のズレは、いつの時代にも生じている。言葉がひとたび生まれると、その時点において、意味が確定する。
いや、ある実体に対して一定の意味が確定されるために、その実体に言葉がかぶせられるわけだ。だが、その実体は時とともに変化し、
つねに流動する。そこで、ある時間が経過すると、言葉が実体から置き去りにされることになる。言葉と実体がズレるのだ。
 ただ、「現在」について指摘できるのは、こういった時のもたらす普遍現象としての言葉のズレばかりではない。それだけなら、
「現在」にあまりに多くの「死語」が生じている原因を説明できない。
 たとえば、現代になお使われている言葉、「故郷」(それに類
する「帰郷」、「望郷」、「郷愁」)、「村」(それに類する「共同体」、「田舎」、「地方」)、「母」、「大衆」、「革命」、
「転向」……など。それらの言葉は、ほとんど“根”を失っている。近代人が「故郷」としての「共同体」から「根こぎ」にされ、
帰りたいけれど帰るところがない故郷喪失者だったとすれば、そういった<近代日本>の歴史過程で意味を確定された言葉も、
いまや「根こぎ」されている。
 とすれば、それはいずれ「死語」と化すしかない。もちろん、「死語」となっても、言葉それじたいは残っている。たとえば、
わたしはさきほど、日本の近代化と戦後の民主主義化、そうして、一九六四年以後の高度成長によって一貫して追求された物質的な幸福と
社会的な平等が、現在の「大衆社会」をつくった、と指摘した。しかし、そこで使われている「大衆」と、そういった物質的な幸福と
社会的な平等とを追い求める、いわばそれらの<欠如>のエトス(生活的な感情)によって日本の近代化を支えた「大衆」とは、
微妙にちがう存在なのではないか。
 日本の近代化を支えた「大衆」は、みずから農業を中心とする「故郷」を捨て、「村」に老いた「母」を残して、都会の工場に働き
に出(学校に入学し)た。そのことによって、“根”としてあるべき「故郷」を哀しく低く心中に歌いつづけなければならなかった。
これが、“望郷”の歌としての演歌になるわけだ。近代日本の「大衆」はその“望郷”の歌を心中に低く歌うことによって<欠如>の状
態に耐え抜いたのである。その意味で、啄木の三行詩と演歌とは抒情的に見て連続しているわけだ。
 それはともかく、物質的な幸福と社会的な平等とが満たされたこんにちの「大衆社会」にあっては、その「大衆」を動かしているものは、
すでに<欠如>の状態のエトスではない。むしろ<過剰>の状態のエトスである。かつては、<欠如>の状態に「耐乏」し、
そこから抜け出すために「一所懸命」「努力」することが、近代日本の社会を支えるエトスだった。これに対して、いまや、
<過剰>の状態に「それなりに」、「満足」する事が、「大衆社会」のエトスになったのである。こういった異なったエトスをもってい
る存在を、ともに「大衆」という言葉で呼びつづけることができるのだろうか。
             (出典 松本健一「言葉の『現在』」より)

ア すべての言葉は、実体が時とともに変化することによって、死語になることから免れることはできない。
イ 「故郷」「村」「母」などの言葉は、<近代日本>の歴史過程の中で実体に対応していたが、近代人が「共同体」から離れたことで「死語」となるしかない。
ウ 「死語」とは、言葉としては存在しているが、その言葉が「現在」の社会の中では対応する実体を失っている言葉であって、
使う必要がないものである。
エ <近代日本>の歴史過程の中で近代化を支えた「大衆」は、抒情的な意識を持つことで、「故郷」を離れ都会に出てくることができた。
オ 「大衆」という言葉は、過去における<欠如>と現在における<過剰>という生活感情の変化はあるものの、
共に同じ「大衆」という言葉で表現できる。

1 一つ
2 二つ
3 三つ
4 四つ
5 五つ








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